今昔物語

南足柄の名水物語 その2

市内狩野地区に「清左衛門地獄池(せいざえもん じごくいけ)と呼ばれる湧水池があります。

この恐ろしい池の名に伝わる伝説です。

むかし、この地区に加藤清左衛門という武士がいました。清左衛門は戦(いくさ)に敗れ、

武士をやめて田を耕すことに決めました。

水田の水源を探し歩く毎日・・・・その日も清左衛門は馬に乗り水源を探していました。

とある湿地帯にくると急に馬がいななきます!清左衛門が馬の脚元を見ると、馬の脚が湿地帯に

沈んでいます。清左衛門はあわてて馬の体勢を変えようとしましたが、またたくまに馬と共に

地中深く沈み込んでしまいました。

すると、その穴から勢いよく水が湧き出してきました。村人たちは清左衛門をしのび池の中島に

弁財天をまつり「清左衛門地獄池」と名付けました。

明治時代にこの地の出身で、八王子の「斯文学院」という学校を開いた奥津宏という漢学者が、

「浮泉の池」と名付けましたが、今ひとつ定着しなかった様です。

昭和初期になるとこの池をはじめとした豊富な水源を利用するため富士フイルムが操業されました。

そして、平成には「平成の名水100選」に選ばれています。

平成が終わりを告げる今でも毎日13000トン(毎分9トン)の水が湧き出しています。